長野県中野市に、形状は前方後円墳の高遠山古墳があります。
長野県指定史跡に指定され、出土品は長野県宝に指定されており、古墳時代前期の4世紀前半頃に築造されたと推定され、長野県内でも最古段階の前方後円墳になります。


古墳の周りは整地されていて、上のほうに上ることもできます。


埋葬施設は、後円部上における粘土槨1基(1号棺)・木炭槨1基(2号棺)の2基で、石積み区画の内部にそれぞれ墳丘主軸に直交する東西方向として構築されています(1号棺→2号棺の構築順)。
調査で出土した副葬品としては、1号棺からは管玉・ガラス小玉・鉄剣・銅鏃・鉄鋤先が、2号棺からは鉄斧・鉇・刀子が、棺周辺からは土師器があります。
小高い丘から街を眺めると、遠くに北信五岳が見え、古代の人たちが見ていた景色が垣間見えます。

こちらの古墳からすぐ近くの小高い丘に、神社がありました。




鳥居を見ると、高井舟着神社とあります。
この丘に舟着??と思いましたが、歴史を調べたら面白いことがわかりました。
境内の奥のほうに、秋葉社があります。


その横に、大きな岩がありました。これが舟繋ぎ石です。


昔はこのあたりまで遠洞湖(えんどうこ)といった大きな湖だったそうで、一番大きい岩に穴が開けられており、舟の綱をこの穴に通して繋いでいたことから舟繋ぎ石と呼んでいたそうです。
この石にまつわる伝説としては、源頼朝がここから舟に乗り込み、湖上から美しい形をした老松の「飯盛松」を眺めながら歌を詠ったといわれています。
この高井舟着神社は、明治初年まで諏訪明神といわれていて、湖沼伝説と神の岩座が合体した姿が残されています。
源頼朝の時代とはだいぶ景色が変わった様子になっていると思いますが、大昔の人もここにいて同じ場所から景色を眺めていたんだなあと思うと、大変感慨深い思いがあります。
