大日堂境内の五百羅漢(三重県)

尊敬や施しをうけるにふさわしい聖者が500体も!大日堂境内の五百羅漢(三重県)

鈴鹿の山並みを背にした三重県菰野町に竹成集落があります。
その真ん中に、思わず足を止めてしまう場所があります。

大日堂境内の五百羅漢(三重県)

こんもりと盛られた草山の斜面を埋め尽くすように、数えきれないほどの石仏がこちらを向いて並んでいるのです。座る者、立つ者、天を仰ぐ者。笑っているような顔もあれば、何かを憂えているような顔もあります。これが「竹成五百羅漢」です。

大日堂境内の五百羅漢(三重県)
大日堂境内の五百羅漢(三重県)

生みの親は、この村に生まれた神瑞和尚というお坊さんです。
ペリー来航の前年にあたる嘉永5年、和尚は故郷に壮大な石仏群を築くことを思い立ちます。
彫刻を担ったのは桑名の石工・藤原長兵衛の一門で、石は地元・釈迦ヶ岳の麓から切り出した花崗岩です。
村人たちも土を運んで山を築き、完成したのは発願から14年後の慶応2年。まさに幕末の激動のさなかに、村ぐるみで生み出された祈りの空間でした。

大日堂境内の五百羅漢(三重県)
大日堂境内の五百羅漢(三重県)

面白いのは、ここに集うのが仏さまだけではないことです。
羅漢像を中心に、大日如来や弘法大師、閻魔大王がいるかと思えば、七福神も天照大神も猿田彦もいます。
神様と仏様が同じ山の上で肩を並べる光景は全国的にも珍しく、「とにかく頼れるものには全部お願いしたい」という当時の人々の、飾らない信心のかたちがそのまま石になったかのようです。

その後、明治の混乱期にはお堂の焼失や仏教排斥の波にさらされ、像の一部は失われてしまいました。
それでも今なお469体が村人たちに守られながら残り、県の史跡にも指定されています。

大日堂境内の五百羅漢(三重県)
大日堂境内の五百羅漢(三重県)

地元では昔から「この中には必ず自分に似た顔がひとつある」と言い伝えられてきました。
訪れる時間や季節、そしてその日の自分の気分によって、目に留まる顔が変わるのも五百羅漢の魅力です。
もし菰野町を訪れることがあれば、石の群像の中に”もうひとりの自分”を探してみてはいかがでしょうか。

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