中仙道25番目の望月宿と26番目の芦田宿の間に茂田井宿があります。
茂田井宿は宿場制度の中で認められた宿場町ではなく、「間宿」や「間の宿」と呼ばれる存在だったため、公的な施設である本陣や脇本陣が設置されませんでした。
それでも、大きな酒屋が2軒あり、宿場として身分の高い人物が宿泊した場所でした。
宿場の通りからは、遠く浅間山を望むことができます。

宿場には一里塚が保存されていました。灯篭には中山道、一里塚と書かれています。

こんもりとした塚が一里塚です。

一里塚は、江戸の日本橋を起点として、街道に1里(約4km)ごとに設置された塚(土盛り)です。
往時は街道を往来する旅人の道標となり、土が崩れないように榎が植えられ、旅人に木陰を与えてくれる休憩場所でした。
白壁が残る道沿いに茂田井と書かれた灯篭が置かれていました。

街道脇に積まれた石垣です。隙間なく積まれた石は、上部が反り返っています。
当時の石工さんの技術の高さが伺えます。

歴史のある街道で、道幅は広くありません。
その通りに古びた格子と白壁が続く街並みは、古き時代そのままに佇んでいました。
道横には、石積みでできた水路があり、生活用水や馬などの飲み水に使われたであろうきれいな水が流れていました。

コンクリート製品を製造している会社の人間が言うのも変ですが、このような水路は、FX側溝のような側溝製品を敷設して道路の拡幅工事が行われるのが一般的です。
現在残されている水路は、街道の景色に溶け込んで趣がありますね。
(FX側溝についてはカタログページを参照してください)


「よき酒と ひとのいふなる 御園竹 われもけふ飲み つよしと思へり」
「しらたまの 歯にしみとほる 秋の夜の 酒はしづかに 飲むべかりけり」
「ひとの世に たのしみ多し 然れども 酒なしにして なにのたのしみ」
いずれもお酒に関係した短歌ですね。牧水は無類の酒好きでした。一日に1升の酒を飲むという酒豪であったようで、酒は彼の健康に大きな影響を与えてしまいました。
やがて牧水は体調不良に見舞われ、急性胃腸炎と肝硬変と診断され、静岡県沼津市で1927年に亡くなりました。
享年43歳という若さでした。

牧水は旅を愛し、各地の風景や情景を見事に表現する才能があり、旅の短歌を数多く残しています。一方で情熱的な愛の表現が多く見られ、妻、若山 喜志子についても短歌が残されています。貴志子は長野県東筑摩郡吉田村(現・塩尻市)生まれです。
牧水は塩を肴に酒を飲んでいたようです。
武重家には大正14年(1925年)の春、「若山牧水が来宅され、酒を飲みつつ門前の歌碑の歌を作り残された」と記録が残っています。歌に詠まれた御園竹は武重酒造の銘柄です。現代でいうPR用のキャッチコピーでしょうか。
「よき酒とひとのいふなる御園竹われもけふ飲みつよしと思へり」

中山道25番目の望月宿から26番目の芦田宿に向かう途中の「間の宿」茂田井宿入口に建てられた案内版です。
茂田井宿の入口は急な下り坂です。坂を下ると白い壁の街並みが現れます。

「しらたまの 歯にしみとほる 秋の夜の 酒はしづかに 飲むべかりけり」
静かな町並みで酒を飲んだ牧水が読んだ短歌は、お酒の楽しみ方を教えてくれます。
宿場町の終わりも坂道です。急な坂を上りきると左側に一里塚があり街並みが途切れます。

静かな宿場町で見つけた牧水の歌碑ですが、旅好きの牧水の短歌は全国に数多く残され、牧水ゆかりの歌碑とされています。
