山梨県韮崎市 武田八幡宮

一石百鳥のパワースポット、ご利益百倍?一石百観音石像

山梨県韮崎市は四方を山に囲まれており、ひときわ高い富士山が優雅な姿を現す甲府盆地が見えます。
とてもいい天気です。

山梨県韮崎市 武田八幡宮

武田八幡宮は戦国時代に活躍した甲斐の国 武田氏の氏神様としてお祀りされています。
武田八幡宮の歴史は822年にまで遡ると言われており、武田家発祥の地としての歴史があります。

入口には、左右の太い柱があり、高さ2.7m程の大きな門が佇んでいました。
正面から鳥居を潜れないため左右の階段に回る必要があります。
右側の石垣にある石段の柱には「享保九年甲辰八月」の銘がありました。

山梨県韮崎市 武田八幡宮

今から300年ほど前にの享保九年(1724年)当時、活躍していたのは徳川吉宗(暴れん坊将軍)、大岡忠助(大岡越前)など、時代劇でお見掛けする人々でした。

鳥居を潜ると総門がありました。

山梨県韮崎市 武田八幡宮
山梨県韮崎市 武田八幡宮

総門からは本殿に続く階段が見えます。

山梨県韮崎市 武田八幡宮

本殿まで急な階段が続いており、途中、クマ出没注意の看板を見つけました。
”クマのほうが怖がるだろ” というご意見は無視してキョロキョロ周囲を見渡し(不審者?)階段を登って行きました。

武田菱の幕が掛けられた拝殿にたどり着きました。

山梨県韮崎市 武田八幡宮

拝殿の奥には若宮八幡社と本殿がありました。歴史を感じる社殿です。

山梨県韮崎市 武田八幡宮

織田・徳川・北条軍に攻められた武田勝頼の夫人は一族存亡の危機を救うため、天正10(1582)年2月19日に武田家の氏神である武田八幡宮へ戦勝祈願文を納めました。
夫人は当時19歳で、家臣の裏切りや領民の混乱を切実に訴えた文章が記されています。
しかし、願いは届かず、天正10年3月に武田勝頼が夫人と共に自害し、武田家は滅亡しました。

山梨県韮崎市 武田八幡宮

武田八幡宮の参道右側、鳥居の手前に変わった石仏が置かれています。

山梨県韮崎市 武田八幡宮

高さ1.7m程の安山岩で、三角形の石面全体に観音像が隙間なく刻まれています。
案内板には「一石百観音石像」と書かれていました。

山梨県韮崎市 武田八幡宮

岩には、100体の小さな観音像が刻まれていました。

山梨県韮崎市 武田八幡宮

近くで見るとお顔まで丁寧に刻まれていました。

山梨県韮崎市 武田八幡宮

この石像は、宝永六年(1709)に天下泰平と国土安全を願って造立されたものです。
こちらも320年ぐらいの歴史がある観音像です。

山梨県韮崎市 武田八幡宮

かつて西国三十三番、東国三十三番、秩父三十四番など観音様を巡礼してお参りする札所巡りが盛んにおこなわれていました。
今でも四国巡礼はされる方がいらっしゃいますね。
その後、一ケ所ですべて参拝できれば便利という時代背景を受けて造られたのが「一石百観音石像」といわれているようです。

山梨県韮崎市 武田八幡宮

つまり、一ケ所で百ケ所分のお参りができ、一回のお参りで100か所分のご利益を受け取れる?パワースポットです!

武田八幡宮が鎮座地する韮崎市は、武田氏発祥の地であり終焉の地でもありました。
悲しい歴史も知ることができた、パワースポットのお話でした。

山梨県韮崎市 武田八幡宮

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